2020-06-19
お笑いコンビ・オードリーが、19日放送のTBS系バラエティー番組『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』(毎週金曜 後8:57)に出演。5月1日に2時間スペシャルで放送し話題となった、オードリースペシャルの第2弾で、どん底時代を振り返った。
2000年に「ナイスミドル」という芸名で活動をスタート。当時は、春日俊彰がツッコミ、若林正恭がボケと、現在と反対の役割だった。番組では、春日のツッコミについての特徴を秘蔵映像とともに振り返り「言葉が聞き取れない」「ボケを楽しんでツッコミが緩くなる」「スベリすぎて自分で笑う」とテロップでイジられた。
ネタ番組全盛の時代にあって、9年間テレビに出られなかった2人は、アルバイトの6万円のみで生活をしのいでいる日々を送った。2005年には、コンビ名を「オードリー」にしたが、すぐに状況は好転せず、春日は当時の心境について「コンビ名を変えるくらいでよくなるとは思ってなかったですから。ヘップバーンの方が良かったんじゃないかって」とかみしめるように語った。
解散を決意した若林だったが、ショーレストラン『そっくり館(やかた)キサラ』に、ともに出演していたビートたけしのものまね芸人・ビトタケシの「死んでも、やめんじゃねーぞ」の一言で、気持ちに変化。現在、ニッポン放送『オードリーのオールナイトニッポン(ANN)』(毎週土曜 深1:00)のコーナーにもなっているほど、オードリーにとってのターニングポイントとなった名シーンの再現VTRには、ビト本人が出演した。
若林は「プライベートでもずっとたけしさんなんですよ」とビトの印象を明かしながら「(その一言が)すごくうれしくて、そんな止めてくれる人がいるんだって。泣きながら赤信号で止まった時に、よく考えたらアイツニセモノだろって」と笑わせた。
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引用元: ・【金スマ】オードリー、9年間TVに出られず 若林正恭は解散も決意 危機救った芸人の一言 [muffin★]
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春日だけ
なんでオンエアしたのかってレベル。
まあ生放送だから仕方なかったけど。
あの時キレすぎて本音出たけど、いろんなワイドショーのコメンテーター全部断ってたって聞いて、へえーと思ったな。
タカトシを吉本の先輩が押しつぶしていたからな
漫才だけならタカトシのほうが上